篳篥よりも龍笛のほうが人数が多い!
にわかに盛り上がって始まった本日の合奏稽古。
龍笛の参加者が篳篥の参加者数を上回ったのは、久しぶり、いや、はじめてかもしれません。

そして、今日は都合がつかない、体調不良等の理由から残念ながら笙の参加者は0。
結果、篳篥と龍笛のみの合奏稽古となりました。

課題曲の越天楽と陪臚。

「笙をしっかり聞きなさい」
「他の楽器を聞きなさい」

これまでの合奏稽古でも、上記のような講師の指導を繰り返し受けながら、精度の高い演奏を目指してきましたが、今日はその大きなよりどころとなる笙がいないわけです。
果たしてどのような演奏になるのか。

始まってみると、そんな心配はどこ吹く風。
越天楽、そして続く陪臚も苦戦していた只拍子の感覚にもだいぶ慣れ、すっかり前回のお稽古の時とは違っていました。
思った以上に順調にお稽古が進み、最後にもう一度越天楽を演奏した際、それは起こりました。

5〜6名ずつの編成で演奏したにも関わらず、それはもう一糸乱れぬさまで、
全員が何かに追われ、走るように越天楽を演奏していきます。せわしない演奏と言えばお分かりいただけますでしょうか・・・。

さっきの演奏とは全く違う・・・。
しかし演奏している皆はその異変に気づいているのか・・・・。

異様な雰囲気のままに演奏が終わり、演奏していたメンバーに問いかけてみたところ、
数人はなんとなくその違和感を感じていたようです。
息苦しかったいう感想を持った人もいました。

しかし多くは、なんとなく違和感を感じてはいたものの、何がお稽古の最初にした演奏と違うのかを的確に分析できなかったようです。

実は、本人たちの気づかないうちに、音頭に操られてしまっていたのです。
このときの音頭は、今日初めて音頭をつとめ、緊張やプレッシャーなどもあってうまい具合に間を保てませんでした。笙の間を捉え切れていなかったのです。

しかし、演奏全体はこの音頭を“無意識のうちに忠実に”なぞって演奏を続けたかたちになりました。

音頭を吹く笛奏者には、より正確な設計図に基づいた、正確な演奏が求められる事
助管や他の楽器はこの音頭を常に批判的な姿勢で捉え、時には音頭を修正し思い描く設計図通りの演奏に近づけていく事

それぞれが求められるのです。

このことからも、いかに音頭の役割が重要であるのかがわかります。

それが今日、この演奏を通して参加者全員が身を以って感じられたと思います。

音頭と言うのは単に、楽曲のはじめの部分を吹いているのではなく、
これから始まる楽曲全体の指針を示すもの。

無批判に全て受け入れ、音頭に従い演奏をするのではなく、
もっと主体的に音頭を自分の中のイメージとリンクさせる。これは絶対に必要です。

いつもは笙を頼りにすることで、他者に指標を求めながら演奏してきたことが、
その指標を欠いたことで、指標を自分自身の中に持つことに気づいた。

私はその過程がとても面白かったなと感じました。
絶対的な指標となる講師の下でそれをなぞるお稽古ではなく、仲間同士様々なバランスの中でこそ得られるものが時にはある。
それこそが合奏の醍醐味であり、雅楽のおもしろさではないでしょうか。