先日、再び話題にさせていただいた海野勝氏の『蘭陵王』

実は勝Δ砲鷲餝擇鯊蟶爐砲靴榛酩覆他にもまだあります。
詳しい経緯はわかりませんが、『蘭陵王』制作から約十年後、勝Δ蓮愨席審據戮鯊蟶爐箸契作を決めます。

制作にあたって勝Δ亙轍爾了廚珪い靴砲茲蟆躋變世鯔れ、直に太平楽をじっくり観察し、
同伴の絵師による詳しいデッサンも手に入れることが出来たようです。
さて、いよいよ制作に取りかかったものの、なかなか思うように作業が進まない。
難易度の高い非常に緻密な細工、そして何よりも制作にかかる莫大な費用が原因でした。

太平楽は舞楽の中で最も重装備のもの。
重さも一番ならば、装着するパーツの数も群を抜いています。
(実際に舞人が着る装束は舞楽装束の中で最も複雑で重量は15キロを超えるんです。)

そんな中、パリで万国博覧会(1900年)が開かれることになり、日本の参加が決まりました。

そして明治天皇より帝室技芸員へ
『何なりとも恥ずかしからぬ品を作って出品致すように』
という御内意が下されたのです。
これを受けて勝Δ呂海痢愨席審據戮鮟佗覆垢襪海箸坊茲瓩泙垢、

さらに宮内省からは
 「出品する作品については一旦宮内省で買い上げるが、博覧会に際しては制作者の名前で出品し、もし買取を希望するものが出た場合には、売り渡して良い」ということが伝えられ、制作者には作品の代金が前もって渡されたそうです。

勝Δ呂海里かげで安心して制作に取り組むことができたと語っています。
太平楽

しかし、ここで気にったのは、もし売ることができた場合に手元に来る代金のこと。

勝Δ内々にこれを宮内庁へ問合わせると
 『代金を返納するには及ばぬ。代わりの品を作って納めればそれでよろしい。これは美術御奨励の篤き思召であるぞよ』との回答があったといいます。

これには勝Δ牢粁泙掘△茲螳豼悗海瞭擦棒鎖陛慘呂垢襪海箸鮴世辰燭修Δ任后
 「金銀銅朧銀赤胴其他の合金を用ゐて、装束佩剣の類を原色のままに顕し」
ともてる技術をすべて注ぎ込んだ様子も伝えられています。

この『太平楽』は明治33年、1900年に開催されたパリ万国博覧会へ出品されました。
現在は『蘭陵王』とともに、三の丸尚蔵館に所蔵されています。

天皇による芸術への深い理解と卓越した芸術家、この両者の存在があってはじめてこのような優れた作品が生み出されるのですね。